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松平楽翁公と神戸風月堂の由来

 

 延享四年(1747年)頃小倉喜右衛門は大阪から単身江戸に移り、 京橋鈴木町で「大坂屋」と屋号を呼び、姓を「大住」と改めて、菓子製造業をはじめ、 諸大名方のご用をつとめておりました。

 

 寛政年間(1789~1800年)閣老松平楽翁公より、ご常用御菓子の調進を命ぜられましたが、 常に質素と衛生とを重んじられる公のお心をくんで、そのご用命には細心の注意を払い、 ていねいに、清潔に、ま心こめて調進申し上げました。

 

 この事が、公のお耳に入り、その誠実、潔白な人柄を愛でられて、 格別のおぼしめしをもって、「風月堂清白」の五文字を商号にするようにと賜りました。

 

 これは蘇東坡(1036~1101年)の「後の赤壁の賦」の中「月白風清」の語をえらばれたもので、 しかも、「風月」の二字は公の雅号でありました。 老中越前守水野忠邦公(1796~1851年)は、これを聞かれて、「この上ない名誉である。 自分も錦上更に花を添えよう」と仰せられて、当時第一の書家市河米庵先生(1779 ~1858年)を水 野邸に招き、白い布に隷書体で『風月堂』と揮ごうさせられ、 これを店頭に掲げよと授与されました。ここに、「大坂屋」の紺のれんをはずして、 力づよい筆あざやかな三大文字『風月堂』の白のれんを掲げることになりました。

 

 吉川家は、250年にわたり、代々「吉川屋新七」の屋号のもとに神戸市海岸通三丁目で回漕問屋・旅館業を 営んで参りました。ところが、明治初年、家業を足袋商に転じ、さらに、洋服商を経て明治26年、 町内市田左右太氏のご指導により、初代吉川市三が、東京南鍋町の風月堂に徒弟奉公に入りました。

 

 市三は、以来洋菓子を主として、菓子業の修業に鋭意研鑚を積み、無事に勤めを終え、 本店大住様からの「のれん」を頂戴いたし、明治30年12月12日現在の場所に 『神戸風月堂』を開店いたしました。

 

 その後、連綿として、この由緒深いのれんを守り、菓子づくり一筋に今日に及んだのであります。